<錦鯉とその起源>
食用に供される真鯉も観賞用の錦鯉も同じ硬骨魚網コイ目コイ科コイ属の温帯性淡水魚で、生物学的に錦鯉という分類はありません。鯉の原産地はペルシア(現在のイラン周辺)地方と考えられ、今からおよそ千年前に中国から日本に渡来したものといわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。
文化文政(1804~1830年)の頃、現在の新潟県の山間部(主に山古志・小千谷・魚沼の二十村郷)において食用として飼われていた真鯉の中に、変わった体色のものが出現しました。そのような鯉を何代も交配していくうちに緋鯉が出現し、さらに浅黄、べっ甲などが作られました。天保年間(1830年頃)になると、白地に緋斑の乗った更紗模様の紅白ができたといわれています。その後も改良が加えられ、明治の初め頃には、黄写り、浅黄、更紗の優れた錦鯉の生産が定着しました。大正時代には黒白斑(白写り)、黒黄斑(黄写り)、紅白、大正三色などが、昭和に入ると、昭和三色、銀鱗、黄金などの絢爛豪華な錦鯉も作出されていきます。ドイツ種の鯉は明治37年(1904年)に輸入され、浅黄と交配されてできた秋翠を筆頭に各種のドイツ鯉系錦鯉が生まれました。
錦鯉は当初、「色鯉」「花鯉」「模様鯉」などと呼ばれていたようですが、第二次世界大戦中に「いろ」だの「はな」だのは時局にそぐわないということで「錦鯉」となったとか、もっと後の昭和30年頃に自然と定着した名称ともいわれています。また、大正三色種につけられた呼び名の「錦鯉」がしだいに広義に使われた、という説もあります。今日、「錦鯉」は鑑賞用の鯉の総称として、日本だけではなくNishikigoiとなって世界中で使われています。
錦鯉の生産は日本各地に広がり、現在も品種改良が施されてさまざまな品種の名鯉が誕生しています。山古志・小千谷・魚沼地方は錦鯉の故郷として、世界中の愛鯉家のあこがれの地となっています。